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市長のかがやきメール

[2010年6月15日]

大垣の隠れた先賢

大垣市長 小川 敏


 一昨年の市制90周年記念事業として、「大垣ルネサンス先賢フェスティバル」を開き、工学・医学・文学・理学など、さまざまな分野で活躍した郷土の先賢31人を紹介しました。
 それ以外にも、大垣ゆかりの隠れた先賢は数多くいます。その一人が、命を削って新薬の開発などに打ち込んだ清水鐵吉です。大垣出身の鐵吉は、1894(明治27)年ごろ、応用化学者である高峰譲吉の助手として、消化酵素「タカジアスターゼ」の研究開発に大きく貢献しました。鐵吉は、肺結核により34歳という若さで死去したため、その功績や存在があまり知られていません。
 もう一人は、30年余り大垣市を本籍地にした元陸軍中将の樋口季一郎です。季一郎は、ハルピン特務機関長時代の1938(昭和13)年、旧満州(中国東北部)で、ナチスに追われる2万人のユダヤ難民を救ったとされています。樋口季一郎の名は、イスラエルの「黄金の書」に「偉大なる人道主義者ゼネラル・ヒグチ」と刻まれ、イスラエル建国の功労者として顕彰されています。
 そして、しゃれた「珈琲」の文字を作った人物が、大垣藩出身で江戸時代後期の蘭学者、宇田川榕菴です。榕菴は、オランダ語のkoffie(コーフィー)の音をもとに、コーヒーの花が玉を下げた簪に似ていることから、玉飾りを表す「珈」と玉をつなぐ紐を表す「琲」の二文字を組み合わせて作字したと伝えられています。
 このように、大垣ゆかりの先賢が意外なところで活躍していました。大垣は、歴代藩主戸田公による文教奨励が受け継がれ、各分野で多くの人が功績を残していることは、郷土の大きな誇りです。
 こうした先賢から多くのことを学ぶとともに、今後も教育や文化を大切にして、心豊かな人材育成に努めていきたいと思います。


(平成22年6月15日号)

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