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企画展示室

[2012年4月8日]

開催中の企画展

第15回企画展

(とき)
平成27年10月3日(土)~
平成27年11月15日(日)

芭蕉は『奥の細道』に旅立つ前から、美濃を旅の終着地にしようと、心に決めていました。

それほど美濃の地を愛し、美濃の俳人に深く心を寄せていました。

第十五回企画展では、芭蕉と美濃の蕉門俳人との交遊の様相を、芭蕉や蕉門俳人の新出資料を交えながら紹介します。

 

これまでに開催した企画展

第15回企画展

(とき)
平成27年10月3日(土)~
平成27年11月15日(日)

芭蕉は『奥の細道』に旅立つ前から、美濃を旅の終着地にしようと、心に決めていました。

それほど美濃の地を愛し、美濃の俳人に深く心を寄せていました。

第十五回企画展では、芭蕉と美濃の蕉門俳人との交遊の様相を、芭蕉や蕉門俳人の新出資料を交えながら紹介します。

第14回企画展

(とき)
平成27年7月18日(土)~
平成27年8月30日(日)

幕末の激動期に勤王の志士を導いた漢詩人・星巌の生涯やその漢詩の特徴を、

(1)漢詩人としての姿、

(2)妻・紅蘭を伴った五年にわたる西国の旅(鴛鴦の旅)、

(3)志士としての姿、

という三つの側面から紹介します。

第13回企画展

(とき)
平成27年3月28日(土)~
平成27年5月17日(日)

芭蕉は、出羽路の旅で、尾花沢(鈴木清風)、大石田(高野一栄)、新庄(渋谷風流)、出羽三山(図司左吉・会覚阿闍梨)、鶴岡(長山重行)、酒田(伊藤不玉)などの土地で多くの交流を持ちました。

第13回企画展では、芭蕉と出羽国の人々との交流をテーマにすえながら、ゆかりの芭蕉真筆を紹介します。

第12回企画展

(とき)
平成27年1月10日(土)~
平成27年2月15日(日)

大垣藩士の家に生まれ、東京帝国大学医科大学長などを歴任し、同じ岐阜県出身の内科医・青山胤(たね)通(みち)とともに「外科の佐藤、内科の青山」と称えられた近代外科医学界の泰斗、佐藤三吉の功績を当館に寄贈された資料をもとに紹介します。

第11回企画展

(とき)
平成26年10月4日(土)~
平成26年11月16日(日)

「蕉風三変」といわれるように、芭蕉の俳諧は、生涯にわたって三度大きく変化したといわれています。そして、そのことは芭蕉の旅の世界と大きく結びついています。

第11回企画展では、芭蕉日置ける旅とその成果に注目し、芭蕉の真筆を交えながら、芭蕉の真筆を交えながら、芭蕉の俳諧に変化をもたらした三つの旅(『野ざらし紀行』、『笈の小文』、『奥の細道』)について概観するとともに、『奥の細道』に帰結する俳諧紀行文を模索する芭蕉の姿を紹介します。

第10回企画展

(とき)
平成26年7月19日(土)~
平成26年8月31日(日)

江馬細香(1787~1861)は、江戸時代を代表する女流漢詩人・画家のひとりです。大垣藩医の家に生まれ、生涯独身を通し、三絶(詩・書・画)の道に専念しました。特に墨竹詩画を得意とし、詩・書・画一体で織りなされる光と時間の表現技法に、その特徴を知られています。

細香の墨竹詩画の世界を江馬家文書や大垣市が近年購入した資料などから紹介します。

第9回企画展

(とき)
平成26年3月29日(土)~
平成26年5月18日(日)

元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人の曽良とともに『奥の細道』の旅に出立しました。そして4月下旬、東北の玄関口である白河の関を越えた芭蕉は、奥州各地の歌枕を巡ります。

悠久の自然を体感し、古人たちと心を重ね合わせた芭蕉。松島で「嶋々や千々にくだきて夏の海」、平泉で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠み、詩心をふるわせました。

紀行文学『奥の細道』の中心に位置する奥州路の旅を、ゆかりの芭蕉真筆などから紹介します。

第8回企画展

(とき)
平成26年1月11日(土)~
平成26年2月16日(日)

日本鉄道の黎明期。

松本荘一郎は、アメリカで学んだ最新の工学技術と知識を駆使して、

日本列島の鉄道路線を構想し整備していきました。

明治二十一年には、その功績が認められ日本初の工学博士を授与されます。

第八回企画展では、日本の鉄道発展に大きな役割を果たした

鉄道官僚・松本荘一郎の実像を

大垣市に寄贈された貴重な資料をもとに紹介します。

第7回企画展

(とき)
平成25年10月5日(土)~
平成25年11月17日(日)

元禄二年三月二十七日、芭蕉は東北・北陸の旅に出立しました。

松島や平泉を経て、出羽三山を巡礼した芭蕉は出立してから七十八日後の六月十六日

歌枕として有名な景勝地、出羽国象潟(現・秋田県にかほ市)を訪れます。

第七回企画展では、『奥の細道』の旅、最北の地であり、

松島や平泉とともに紀行文学『奥の細道』の三つの頂点をかたちづくる象潟を、

ゆかりの芭蕉真筆などから紹介します。

 

第6回企画展

(とき)
平成25年7月20日(土)~
平成25年9月 1日(日)

 飯沼慾斎の生誕230年を記念して、近代植物学の開拓者・飯沼慾斎の足跡をたどります。

 慾斎は(1783~1865)は、日本で初めてスウェーデンの植物学者・リンネの植物分類にしたがい、日本の植物を体系的に図示した『草木図説』を著しました。

 そのため『草木図説』は、日本の植物図鑑の元祖とも言われています。

 慾斎の手によって精密に写生された多くの植物画などから、慾斎が植物研究にかけた情熱を感じていただければ幸いです。

 

第5回企画展

(とき)
平成25年3月30日(土)~
平成25年5月12日(日)

 元禄2年(1689)3月27日、松尾芭蕉は門人の曽良とともに東北・北陸の旅に出立しました。この時、芭蕉46歳、この旅をもとに書かれた紀行文学が『奥の細道』です。
 今回の企画展では、『奥の細道』の旅に旅立つ直前のようすから、旅立ち、そして、みちのくの玄関口・白河の関までの旅路を、芭蕉の書簡や旅立つ直前に催された大垣の俳人たちとの句会で編まれた芭蕉自筆の歌仙巻などから迫ります。

 

第4回企画展

(とき)
平成25年1月13日(日)~
平成25年2月11日(月・祝)

 芭蕉十哲のひとり、各務支考を祖とする「美濃派」は、支考の庵号獅子庵にちなみ「獅子門」と呼ばれ、美濃地方を拠点に北陸や西日本一帯の地方都市や農村に広く勢力を伸ばし、支考の理解する「蕉風俳諧」を全国に普及しました。
 支考が普及した俳諧の特徴は、「俗談平話」といわれる日常使用する俗語や話しことばに基づき、平明で一般に受け入れやすい俳風であり、かつ芭蕉が重視した連句を重んじたところにあります。
 本企画展では、美濃派道統2世・各務支考から3世・仙石蘆元坊、4世・田中五竹坊など、誕生期の「美濃派」を支えた彼らの作品とその動向を紹介します。
※美濃派では、松尾芭蕉を1世、各務支考を2世と考え、一門の高弟から統率者を選び、「道統」と呼びます。

第3回企画展「描いた芭蕉・描かれた芭蕉」

(とき)
平成24年9月22日(土・祝)~
平成24年11月25日(日)

 「奥の細道」などの紀行文学や俳句を通じて愛される芭蕉を、芭蕉が描いた画賛とさまざまな画家が描いた芭蕉の肖像画により紹介します。

第2回企画展「蘭学の発祥~江馬蘭斎と大垣~」

(とき)
平成24年7月22日(日)~
平成24年9月2日(日)

 江馬蘭斎は、40代半ばより蘭学を杉田玄白・前野良沢に学び、寛政7年(1795)、蘭斎49才のとき、岐阜県で最初の蘭学塾、好蘭堂を大垣に開きました。寛政10年(1798)蘭斎52歳のときには、京都西本願寺法主の文如上人を治療したことで、蘭方医としての名声が全国に知られることになります。こうした蘭学者蘭斎のエピソードをゆかりの資料や書簡、当時の医療器具などをもとに展示し、「蘭学の発信地・大垣」に大きな役割を果たした蘭斎の足跡を紹介します。

第1回企画展「松尾芭蕉が愛した大垣」

(とき)
平成24年4月8日(日)~
平成24年5月20日(日)

 大垣は、早くから蕉風俳諧が花開いた土地であり、芭蕉を慕う門人が多くいたところです。芭蕉も大垣の地を愛し、大垣の俳人たちに心を寄せていました。
 本企画展は、「野ざらし紀行」と「奥の細道」の旅で、大垣を訪れた際の芭蕉の動静、芭蕉と大垣俳人たちとの心温まる交流の様子などを、芭蕉真筆資料(11点)を含む約40点の作品によって紹介します。大垣では初めて公開する資料も13点展示します。

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