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守屋多々志美術館第79回企画展「世界旅行」展示作品のご紹介

  • [2020年6月5日]
  • ページ番号 50170

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 こちらでは守屋多々志美術館企画展「世界旅行」の展示作品の一部をご紹介します。ご来館の参考にしていただければ幸いです。

なお、このコンテンツの画像は著作権保護のためダウンロードやコピー等はご遠慮ください。


展示室に入ってみましょう

 今回の企画展は、日本と海外の交流を描いた歴史画や海外を訪れて描いたスケッチ、模写を中心に展示しています。
 展示室に入ると正面のガラスケースには、すみれ色が目を引く華やかな四曲一隻屏風が展示されています。

《ウィーンに六段の調べ(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)》

 この作品は、守屋が1992年、80歳の時に描いたもので≪ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)≫です。
 画面左に描かれている、すみれ色のドレスで琴を演奏している女性は11代大垣藩主であった戸田氏共伯爵夫人の極子です。彼女は岩倉具視の長女で「鹿鳴館の華」と称され、山田流の琴の名手でした。戸田伯爵は1887~1890年までオーストラリア・ハンガリー兼スイス特命全権公使を務め、それに伴い一家でウィーンに駐在していたのです。
 画面右に描かれている、白い髭の男性は三大Bとしても名高い音楽家のブラームスです。彼は鉛筆と楽譜を手に、極子が奏でる琴の音に聞き入っているようです。

 実はこの作品は、実際にウィーンで起こったある出来事を描いています。
 ウィーン滞在時に、極子はブラームスらの前で演奏する機会がありました。ブラームスは戸田家の音楽教師であった友人ボクレットが出版した「六段」の楽譜に自ら演奏の特徴を書き込み、彼女に献じたのです。この楽譜はのちに戸田家からウィーン楽友協会に寄贈され、長らく保管されていました。そして1984年、オーストリアと日本でこの楽譜が調査され、100年以上前の国を越えた音楽交流のエピソードが明らかになったのです。

 守屋は以前から極子のことを作品に描きたいと考えていました。その折にこうしたエピソードがあることを知り、時間をかけて時代考証を進め作品を描くに至ったのです。


イタリア留学後に描いた作品をご紹介します

《アンジェリコの窓》、《ギリシャの壺売り》

 左側の椅子と窓が描かれた作品は、守屋が1958年に、イタリア留学後初めて院展に出品した≪アンジェリコの窓≫です。
 1955~1956年のイタリア留学中に訪れたフィレンツェのサン・マルコ修道院の一室を描いています。修道院独特の小窓の左にフラ・アンジェリコの描いた≪受胎告知≫のフレスコ画が見え、壁とアーチ型を重ねています。古寺の情景のみでなく、時を経ても人々の心に変わりなく宿る祈りに満ちた空間が表現された作品です。 
 右側の女性が描かれた作品は、同じくイタリア留学中に訪れたギリシャの街角の風景を題材にした≪ギリシャの壺売り≫です。粗い粒子の顔料を厚く重ねた漆喰壁のような絵肌に、赤と黄の強い色彩が溶け込みます。
 守屋は、留学で古画壁画の研究と模写に打ち込みました。そして「日本画の技法が古代ローマの壁画ともっとも共通点が多く、これらの壁画を模写し、研究しなければならない」と強く思い、2年足らずで5,000枚超のスケッチと模写に励んだのです。
 帰国後は日本画の魅力を再認識するとともに、自分なりの新しさを目指そうと、この2つの作品にみられるような重厚な画面構成を多く試みました。


 こちらの屏風は1991年に描かれた《ポトマック河畔の福沢諭吉》です。
 幕末から明治にかけ活躍した思想家福沢諭吉(1835~1901)は、大阪適塾で学び、江戸で蘭学塾(後の慶応義塾)をひらきます。1860年、咸臨丸で江戸幕府の遣米使節に同行し、以後2回欧米を視察しました。
 制作にあたり、1867年のワシントンの様子を調べてみたら、ポトマック河畔は未開発の状態でこれといった建造物もなく、どう描くか苦心したといいます。そこで守屋は、桃山時代の障屏画を思わせる金と華やかな緑や青をふんだんに用い、俯瞰した木々の間から人々が見え隠れする、絵巻物のような構図で描くことにしました。まるで大画面で絵巻物を見ているようにも感じますね。岩絵の具独特の爽やかで微妙な緑を重ねた色調が、河畔を歩く女性のドレスの曲線や水面の波と調和し、リズム感に満ちた一枚です。
 守屋は大変動物好きで、様々な作品に動物を描きました。この作品も例外ではなく、画面左側に愛犬を登場させています。

≪牡丹燈記≫ 1971年

 こちらの作品は1971年に描かれた《牡丹燈記》です。
 中国明代の瞿佑が著した怪奇小説『剪燈新話』(1378)のうち「牡丹燈記」を題材としています。日本では、江戸時代の浅井了意が翻案した「牡丹燈籠」や、三遊亭円朝が人情噺に翻案した「怪談牡丹燈篭」として知られています。
 中央に描かれた美女・麗卿は既にこの世の人ではなく、麗卿は侍女の金蓮を従え、牡丹燈籠を掲げて、喬生という青年のもとへと向かいます。背景の蓮は、侍女の名前から連想して描かれたものと考えられます。
 藍と緑青を混ぜた色合いが大変美しく、背景にたくさんの蓮が描かれていますが、統一された色調によって落ち着いた作品になっています。麗卿と金蓮は透けるように描かれ、まるで本当の幽霊のように見えますね。
 守屋の技術の高さがうかがえる一枚です。


《模写 アルドブランディーニ家の婚礼図》

 こちらの作品は守屋が2年間にわたるイタリア留学中に作成した≪模写 アルドブランディーニ家の婚礼図≫です。
 ローマの名門貴族アルドブランディーニ家で発見された1世紀頃のフレスコ壁画を模写したもので、大きさは高さ1メートル、長さ3メートルを超えます。
 原画はバチカン図書館に収蔵されており、現地では、窓から光が入る午前11時から午後2時頃までの時間しか模写ができなかったといいます。看視が外から鍵をかけるため、トイレへ行くのにも苦労したそうですが、やがて真摯に模写に取り組む守屋は、彼らの厚意と理解を得て、関係者用トイレを使わせてもらい、非公開の中庭を見る機会にも恵まれるようにもなったというエピソードがあります。

大下図をご紹介します

 日本画は数多くの工程を経て一枚の作品が出来上がります。
 大まかな手順として、まずスケッチをし、小下図という作品のもととなる小さな下図を作ります。次に完成した小下図を本画の大きさに拡大し大下図を描きます。そして大下図をもとに本画の制作に取り掛かるというものです。
 当館では守屋の画業を様々な観点からご紹介したく、本画だけではなく制作過程のスケッチや小下図、大下図をご紹介することもあります。今回の企画展「世界旅行」でもいくつかの作品の大下図を展示しています。

《大下図 慶長使節支倉常長》

 こちらは1981年に作成された《慶長使節支倉常長》の大下図です。本画は山種美術館に所蔵されています。
 1613年9月、仙台藩主伊達政宗は、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、エスパーニャ帝国及びローマ法王パウルス5世に遣欧使節団を送りました。1615年11月、支倉常長はバチカン宮でローマ法王に謁見。ローマ市公民権を与えられました。
 大下図には顔や手など複数の箇所に貼り紙をし、何度も修正を重ねた形跡が見られます。細部にいたるまで完璧な画面を求めた守屋のこだわりが感じられますね。

 今回はこの作品の他にも、国立西洋美術館に所蔵されている、1979年に作成された《キオストロの少年使節》の大下図や、1953年に作成され、現在は明治座に所蔵されている《胡姫》の大下図を展示しています。

≪大下図 胡姫≫

≪大下図 胡姫≫ 1953年

≪大下図 キオストロの少年使節≫

≪大下図 キオストロの少年使節≫ 1979年

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 皆さま、守屋多々志美術館企画展「世界旅行」作品紹介はいかがでしたか。
 今回ご紹介した作品以外にも、今回の企画展では守屋が世界を巡って描いた作品を多く展示していますので、ぜひ本物を見にいらしてください。
 遠くに旅行することは今すぐには難しいかもしれませんが、作品鑑賞を通して様々な世界を感じ心で旅することはできます。
 いつか自由に世界を旅行できる日が戻ってくること、そして何より皆さまのご健康をお祈りいたします。

このほかの守屋多々志美術館の詳しい情報は大垣市守屋多々志美術館ホームページトップ(別ウインドウで開く)をご覧ください。

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