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歴史ある風景を楽しんでみませんか 美濃路大垣宿周辺の景観遺産 (令和2年11月1日号)

  • [2020年11月1日]
  • ページ番号 51443

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 大垣は交通の要所であり、昔から多くの宿場が栄えてきました。その中でも美濃路大垣宿は、中山道と東海道をつなぐ美濃路の宿場町として、江戸時代を通じて、本陣、脇本陣、問屋場、旅籠屋、商家などが軒を連ねていました。
 今回は、その美濃路大垣宿周辺の景観遺産について、宿場町周辺を巡るモデルルートに沿って紹介します。
 詳しくは、都市計画課(TEL 47-8694)または、市HPをご覧ください。 

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市HP


(1)金蝶園総本家 高屋町1丁目17
 創業当時の建物は残念ながら戦災により焼失してしまい、現在の店舗は戦後の昭和26年(1951年)に建てられたものです。店舗正面には大きな屋根の妻を見せ、柱などに良材を用い和風の意匠を採用した、駅通りには珍しい木造建築物として風情を漂わせています。
金蝶園総本家


(2)八幡神社 西外側町1丁目1

 中世には大井荘と呼ばれ東大寺領であったため、東大寺の鎮守を勧請して建てられました。大垣まつりは、江戸初期にまでさかのぼる八幡神社の祭礼で、藩主より拝領の三輌軕と、町の持ち軕十輌が城下町を巡行し、提灯が輝く夜宮も別の趣があってにぎわいます。境内には自噴の井戸があり、絶えることなくこんこんと水が湧き出ています。
八幡神社


(3)円通寺山門 西外側町1丁目32番地1

 円通寺は、初代大垣藩主戸田氏鉄公が大垣へ国替えになった寛永12年(1635年)に、尼崎から伽藍などを移し建立されました。落雷などにより数回焼失し、現在の木造瓦葺の山門は、天保年間(1830年~1844年)に再建されたものです。昭和20年(1945年)の空襲で本堂などは焼失しましたが、山門は延焼を免れ、大垣藩戸田家の菩提寺にふさわしい豪壮な姿が今に残っています。
円通寺山門


(4)旧戸田鋭之助邸正門附船板塀 丸の内2丁目4

 旧大垣藩家老戸田鋭之助の旧邸の正門と板塀で、現在は郷土館の施設として保存されています。板塀は船板を利用して塀にしたもので、かつての大垣市が水門川を利用した水上交通が発達していた往時を偲ぶことができる貴重な資料です。
旧戸田鋭之助邸正門附船板塀


(5)大垣城 郭町2丁目52
 城下町大垣のシンボルである大垣城。築城の時期は16世紀前半までさかのぼります。関ケ原の戦いで、西軍・石田三成の本拠地となったことは有名で、その後、戸田氏が十万石の城主となり、戸田氏の治世は明治維新まで続きました。城内には天守のほか隅櫓、城門、武徳殿などがあり、また、館内では関ケ原の戦いに関する展示や、展望室からの眺望を楽しむことができます。
大垣城


(6)OKB大垣共立銀行郭町ビル 郭町2丁目12
 昭和2年(1927年)の年末に、工費17万円(当時)を投じ落成しました。総建坪約500坪を誇る3階建ての鉄筋コンクリート構造で、1階および2階の一部を、明治27年(1894年)に創立された大垣貯蓄銀行(昭和18年に大垣共立銀行に合併)の本店とし、その他の部分をデパートとして、「大ビル百貨店」の名で開業しました。大垣でエレベーターが取り付けられた建物の第1号となりましたが、これは当時名古屋から京都に至るまでで唯一の存在でした。現在は改装され、市の栄誉市民である日本画家、守屋多々志の作品を展示する美術館となっています。
OKB大垣共立銀行郭町ビル


(7)大垣共立銀行本社 郭町3丁目98
 昭和48年(1973年)建築の地上17階、地下2階建ての本館と、昭和59年(1984年)建築の円筒形の新館の二つで構成された建物です。本館の建設当時、まだ大垣市内に高層のビルが無かったため、遠くからでもよく目立ち、ランドマーク的な存在でした。晴天時には空の青と建物の白のコントラストがとてもすばらしく、夜間にはライトアップされ、人々の目を楽しませています。
大垣共立銀行本社


(8)槌谷本店 俵町39

 宝暦5年(1755年)に創業した菓子司・槌谷の店舗として、濃尾震災直後に建てられました。店舗入り口の看板は、明治の頃まだ珍しかったローマ字が彫られており、作成を請け負った当時の職人の苦労の跡を見ることができます。菓子工場から火事が出た場合を考えて、英国から輸入されたレンガで立派な卯建風の防火壁が設置されています。戦災ではこの防火壁により、焼失を免れたと伝わっています。
槌谷本店


(9)三輪酒造酒蔵 船町4丁目48
 明治20年(1887年)と明治21年(1888年)に建築された酒蔵には二階蔵と三階蔵の2棟あり、どちらも木造の土蔵造りとなっています。戦災での焼失を免れ、現在も十分に稼働している主要な醸造土蔵建築が一式残る貴重な産業遺構です。醸造という実用を目的に造られた建造物であるため、洗練された建築装飾はありませんが、切妻屋根や壁面の直裁な表現、さらに連続する押縁の線や不規則な開口部が単調になりがちな形に面白さを加えています。
三輪酒造酒蔵


(10)上田家住宅 船町5丁目32
 現在残る瓦に文化2年(1805年)の銘があることから江戸末期の建造とされています。2階の軒高が低い「つし二階」とよばれる構造で、幅の狭い瀟洒な竪格子や卯建・袖壁が残っています。土間列と座敷列の二列からなる町屋を一体化した大型の、明治期の店舗形式を残した特異な町屋といえます。
上田家住宅
美濃路大垣宿周辺モデルコース



【大垣市景観遺産を募集中!】
 市は、随時、景観遺産の募集を行っています。あなたの好きな景観を、ぜひご応募ください。

・応募方法 : 市役所や上石津・墨俣地域事務所、各市民サービスセンターなどで配布の応募用紙に必要事項を記入し、都市計画課(〒503-8601 丸の内2-29、ファクス 81-4869)へ ※市HPや携帯電話からも応募可

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