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守屋多々志美術館第82回企画展「どうぶつ集合!」展示作品のご紹介

[2021年1月8日]

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  守屋多々志美術館では、1月7日より第82回企画展「どうぶつ集合!」を開催しています。ここでは展示作品より、注目の作品やおすすめの作品をご紹介いたします。
 ご覧いただき、ご来館の参考にしていただけましたら幸いです。

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展示室に入ってみましょう

  今回の企画展は「どうぶつ集合!」と題し、様々な動物が登場する作品や、動物を描いたスケッチなどをご紹介しています。
 展示室に入ると正面のガラスケースには、女性や赤ちゃん、そして馬が描かれた四曲一隻屏風が展示されています。

《誕生(聖徳太子)》(2000年、大垣市蔵)

 この作品は、守屋が2000年、88歳の時に描いたもので≪誕生(聖徳太子)≫です。
 守屋自身、この年に88歳のお祝いである米寿を迎え、さらに西暦2000年の節目の年であったことから「もう一度生まれ変わりたい」という思いを込め、聖徳太子の「誕生」のシーンを描きました。
 聖徳太子(574~622年)は曽我系の皇族として生まれました。後に推古天皇の摂政となり、冠位十二階の制定、憲法十七条の発布、遣隋使の派遣などを行いました。母穴穂部間人皇女が馬小屋の前で産気づいた伝承にちなみ、別名厩戸皇子とも呼ばれます。キリスト生誕と共通する伝承は日本書紀成立時に大陸経由で伝わった景教の影響など諸説あり、聖徳太子自身も10人もの人の話を一度に聞くことができたなど、多くの超人的なエピソードが残るミステリアスな人物です。
 神秘的な暗い室内に金色に輝く光が差し込み、清らかな白い装束がまぶしく映えます。母親は温かいまなざしで我が子である聖徳太子を迎え、馬も優しく見守り、太子ゆかりの橘も花と実で満たされ、すべてが祝福に包まれています。この作品に対し、守屋は次のような言葉を残しています。
 「もう一度新たに生きたいと、心底思いました。イザナミから与謝野晶子まで、古代から近代まで、歴史上の人物をいろいろ描いてきた。そこに理屈ぬきで聖徳太子が浮かんだ。長年の勘のようなものです。ここは義経や頼朝というわけには参りません。太子には中国の祖師や救世観音の生まれ変わりという信仰もあるし、生誕にまつわるエピソードが多い。いま母に抱かれるという感激の一瞬に、そのすべてを集約してみたんです。」(誕生(聖徳太子)「絵は風景より」読売新聞日曜版2001年3月4日)

様々な動物が登場する作品をご紹介します

《楊四娘》



《楊四娘》(1969年、大垣市蔵)

 こちらは1969年、守屋が57歳の時に描いた《楊四娘》です。中国唐の玄宗皇帝妃・楊貴妃(719~756年)の少女時代を3人の姉とともに可愛らしく描きました。
 楊貴妃は絶世の美女と言われ、白居易の「長恨歌」などでも知られています。楊一族は栄華を極めますが、755年に起こった安禄山の乱で楊貴妃は殺され、悲運の最期を迎えました。
 作中では馬に乗り軽やかに野山を駆ける四姉妹を、鮮やかな緑と金箔を用い、若い娘らしい華やかな色調でリズミカルに描きました。考証を重ねた衣装やいきいきと躍動感あふれる馬の姿、馬具の装飾も見事でこの作品の見どころの一つです。
 質感ある画面で背景を花で埋め尽くした構成は、イタリア留学(1955~56年)で触れたルネサンス絵画に通じ、金箔の効果は壮麗な大和絵を連想させます。国際色豊かな唐の繁栄を、この作品で見事に現代に甦らせました。騎乗の楊貴妃たち姉妹の服装は、今回の企画展でも下図を展示する高野山障屏画にも共通します。
 この作品で守屋は日本美術院において特待に推挙されました。

《智恵子と光太郎》

《智恵子と光太郎》(1993年、大垣市蔵)
 こちらは1993年、守屋が81歳の時に描いた《智恵子と光太郎》という作品です。日本近代詩の礎を築いた高村光太郎と、その妻で画家の高村智恵子を描いています。
 智恵子は大学を卒業後、女性洋画家として活躍する中で光太郎と出会い、創作活動にますます打ち込むようになります。しかし、昭和6~7年ごろに酒造業を営む実家が破産し、家族が散り散りになってしまいました。その頃、智恵子自身も画家としてスランプに陥るなど、精神的に弱り切ってしまったことから健康を害してしまい、その後の闘病も虚しく昭和13年に亡くなりました。智恵子の死後、光太郎はふさぎこんだ生活を送りますが、昭和16年に妻に関する詩集『智恵子抄』を刊行します。
 この作品の場面は、智恵子が昭和9年5月から12月にかけ療養した九十九里浜の真亀海岸だといいます。この地で「千鳥と遊ぶ智恵子」、「風に乗る智恵子」などが詠まれました。初夏の日差しが、やわらかい色調で二人を包んで降り注いでいます。精神を病んだ智恵子はまるで幼女のように無邪気な様子で描かれています。光太郎も足元の小さな蟹を見つめ、智恵子と過ごす時間を穏やかに見守っているようです。

人魚の愛


《人魚の愛》(1992年、大垣市蔵)

 こちらの作品は1992年、守屋が80歳の時に描いた《人魚の愛》です。
 児童作家の小川未明(1882~1961年)の童話『赤いろうそくと人魚』(1921年)から想を得て描かれました。
 物語は人間は優しい心の持ち主だと聞いていた人魚が、自分の子どもを人間に育ててもらって幸福に暮らせるようにしたいと考え、ろうそくを売る老夫婦に娘を託すところから始まります。美しく成長した人魚の娘は、ろうそくに絵を描き老夫婦の生活を助けますが、老夫婦は金に目がくらみ見世物に娘を売ってしまいます。悲しんだ娘は赤く塗りつぶしたろうそくを残し、檻に入れられ連れて行かれました。人魚の母親は、娘を取り戻すために嵐を起こして、村ごと滅ぼしてしまいます。
  画面は色数を少なくして、題名となったろうそくの赤色を際立たさせています。慈愛に満ちた目で娘を見る母親の姿は、悲しい物語の結末からは想像もできないほど穏やかなもので、ろうそくの炎も海中の色使いも温かく、人魚の母親を見守るかのようです。
 この作品は人魚の子どもに対する愛情をテーマにしており、家族に対する画家自身のあたたかな思いを込めて、優しく穏やかに描かれました。

自信を持っていたラクダの描写

《繭の傳説》(1994年、大垣市蔵)

 こちらの作品は1994年、守屋が82歳の時に描いた《繭の傳説》です。
 こちらは6世紀ごろの中国の「蚕種西漸伝説」をもとにした作品です。この伝説は『大唐西域記』にも記されており、守屋は日本の歴史に影響を与えた東西交流に深い関心を寄せていたことから、この伝説にも興味を抱き作品にしました。当時、絹は高価な輸出品であり養蚕の技術は門外不出でした。シルクロードの中継地・タクラマカン砂漠南の干闐(ほーたん)の王は、中国から嫁ぐ王女に養蚕を教えるよう頼み、王女は繭を髷の中に隠し、養蚕を伝えたといいます。
 荒涼とした砂漠を不安げな表情の王女を乗せたラクダの隊列が進みます。砂漠の温かい色調や穏やかでユーモラスなラクダの表情は、こらから異国へと嫁ぐ王女に寄せる守屋の優しさなのでしょうか。
 守屋は大戦中、馬やラクダの輸送を経験しており、描写には大変自信を持っていたようです。

扇面芭蕉シリーズをご紹介します

      今回の企画展では、守屋がライフワークとして描いていた扇面芭蕉シリーズの中から14点を展示しています。ここでは、その中から特に注目のお正月らしい2点をご紹介します。

《扇面芭蕉 蓬莱に聞かばや伊勢の初便り》 (1995~2001年頃、個人蔵)

 こちらは松尾芭蕉が元禄7年の元日に詠んだ句から発想を得て描かれました。
 句の意味は「蓬莱飾りを前にして気分も新たな元日、伊勢からの初便りなど聞きたいものだ」というものです。句の世界観を、紅白の水引がかけられた大きな伊勢海老を金色の背景に描くことで、お正月らしい非常におめでたいイメージで描きました。
 伊勢海老の大変細かな殻の描写も注目点の一つです。

《扇面芭蕉 餅花やかざしに挿せる嫁が君》(1995~1997年、個人蔵)
 こちらもお正月らしく鏡餅が描かれていますが、鏡餅の上にはミカンではなくネズミがいます。
 この句の意味は、「正月のねずみは嫁が君(嫁が君とは、正月三が日にネズミを呼ぶ呼称。ネズミが餅花のあたりに顔を出したのを髪飾りをしていると見立てたもの。)の名にふさわしく、餅花を頭の飾りに挿していることだ、というものです。句の世界観を可愛らしいネズミと共に微笑ましく表現しました。

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 第82回企画展「どうぶつ集合!」作品紹介はいかがでしたか。
 今回ご紹介した作品以外にも、今回の企画展では可愛らしい動物が名脇役として登場する作品や、動物を描いたスケッチなど様々な作品をご紹介しています。
 ぜひ作品に登場するたくさんの動物たちに会いに来てくださいね。皆さまのご来館をお待ちしております。

 このほかの守屋多々志美術館の詳しい情報は大垣市守屋多々志美術館ホームページトップ(別ウインドウで開く)をご覧ください。

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