ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

このページを一時保存する

スマートフォン表示用の情報をスキップ

守屋多々志美術館第84回企画展「世界巡行」展示作品のご紹介

  • [2021年6月26日]
  • ページ番号 53975

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

 守屋多々志美術館では、5月22日より第84回企画展「世界巡行」を開催しています。ここでは展示作品より、注目の作品やおすすめの作品をご紹介いたします。
 ご覧いただき、ご来館の参考にしていただけましたら幸いです。

なお、このコンテンツの画像は著作権保護のためダウンロードやコピー等はご遠慮ください。


展示室に入ってみましょう

  今回の企画展は「世界巡行」と題し、イタリア留学時代の各地を巡ったスケッチや、近代日本の国際交流を描いた歴史画などをご紹介しています。
 展示室に入ると正面のガラスケースには、鮮やかな水色が目を引く四曲一隻屏風が展示されています。

《ポトマック河畔の福澤諭吉》(1998年、大垣市蔵)

  こちらの屏風は1991年に描かれた《ポトマック河畔の福沢諭吉》という作品です。
 幕末から明治にかけ活躍した思想家福沢諭吉(1835~1901)は、大阪適塾で学び、江戸で蘭学塾(後の慶応義塾)をひらきます。1860年、咸臨丸で江戸幕府の遣米使節に同行し、以後2回欧米を視察しました。
 守屋はこの作品の制作にあたり1867年のワシントンの様子を調べてみたところ、ポトマック河畔は未開発の状態でこれといった建造物もなく、どう描くか苦心したといいます。そこで桃山時代の障屏画を思わせる金と華やかな緑や青をふんだんに用い、俯瞰した木々の間から人々が見え隠れする、絵巻物のような構図で描くことにしたそうです。作品を見ているとまるで大画面で絵巻物を見ているように感じますね。岩絵の具独特の爽やかで微妙な緑を重ねた色調が、河畔を歩く女性のドレスの曲線や水面の波と調和し、リズム感に満ちた一枚です。
 また守屋は動物好きな一面もあり、様々な作品に動物を描いています。この作品も例外ではなく、画面左側に愛犬を登場させています。


イタリア留学中に取り組んだ模写

《アルドブランディーニ家の婚礼図模写》(1955年、個人蔵)

 こちらの作品は守屋が2年間にわたるイタリア留学中に作成した≪模写 アルドブランディーニ家の婚礼図≫です。
 ローマの名門貴族アルドブランディーニ家で発見された1世紀頃のフレスコ壁画を模写したもので、大きさは高さ1メートル、長さ3メートルを超えます。
 原画はバチカン図書館に収蔵されており、現地では窓から光が入る午前11時から午後2時頃までの時間しか模写ができなかったといいます。看視が外から鍵をかけるためトイレへ行くのにも苦労したそうですが、やがて真摯に模写に取り組む守屋は彼らの厚意と理解を得て、関係者用トイレを使わせてもらえるようになり非公開の中庭を見る機会にも恵まれるようにもなったというエピソードがあります。
 作品をよく見ると、画面の亀裂や絵の具の落ちた部分が実際には全て模写され描かれたものであることがお分かりになると思います。守屋自身も「精魂かたむけて取り組んだ完璧な模写」と評した通り精緻に描かれた模写です。

イタリア留学後に描いた作品をご紹介します

《アンジェリコの窓》(1958年、大垣市蔵)、《ギリシャの壺売り》(1963年、大垣市蔵)

 左側の椅子と窓が描かれた作品は、守屋が1958年に、イタリア留学後初めて院展に出品した≪アンジェリコの窓≫です。1955~1956年のイタリア留学中に訪れたフィレンツェのサン・マルコ修道院の一室を描いています。修道院独特の小窓の左にフラ・アンジェリコの描いた≪受胎告知≫のフレスコ画が見え、壁とアーチ型を重ねています。古寺の情景のみでなく、時を経ても人々の心に変わりなく宿る祈りに満ちた空間が表現された作品です。
 右側の女性が描かれた作品は、同じくイタリア留学中に訪れたギリシャの街角の風景を題材にした≪ギリシャの壺売り≫です。粗い粒子の顔料を厚く重ねた漆喰壁のような絵肌に、赤と黄の強い色彩が溶け込みます。
 守屋は、留学で古画壁画の研究と模写に打ち込みました。そして「日本画の技法が古代ローマの壁画ともっとも共通点が多く、これらの壁画を模写し、研究しなければならない」と強く思い、2年足らずで5,000枚超のスケッチと模写に励んだのです。
 帰国後は日本画の魅力を再認識するとともに、自分なりの新しさを目指そうと、この2つの作品にみられるような重厚な画面構成を多く試みました。

国際交流や外国の物語をテーマに描いた作品

《ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人》(1992年、大垣市蔵)
 この作品は守屋が1992年、80歳の時に描いたもので≪ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)≫です。
 画面左に描かれている、すみれ色のドレスで琴を演奏している女性は11代大垣藩主であった戸田氏共伯爵夫人の極子です。彼女は岩倉具視の長女で「鹿鳴館の華」と称され、山田流の琴の名手でした。戸田伯爵は1887~1890年までオーストラリア・ハンガリー兼スイス特命全権公使を務め、それに伴い一家でウィーンに駐在していたのです。
 画面右に描かれている、白い髭の男性は三大Bとしても名高い音楽家のブラームスです。彼は鉛筆と楽譜を手に、極子が奏でる琴の音に聞き入っているようです。実はこの作品は、実際にウィーンで起こったある出来事を描いています。ウィーン滞在時に、極子はブラームスらの前で演奏する機会がありました。ブラームスは戸田家の音楽教師であった友人ボクレットが出版した「六段」の楽譜に自ら演奏の特徴を書き込み、彼女に献じたのです。この楽譜はのちに戸田家からウィーン楽友協会に寄贈され、長らく保管されていました。そして1984年、オーストリアと日本でこの楽譜が調査され、100年以上前の国を越えた音楽交流のエピソードが明らかになったのです。
 守屋は以前から極子のことを作品に描きたいと考えていました。その折にこうしたエピソードがあることを知り作品を描くに至りました。


《巴里の若き岡倉天心》 (1997年、大垣市蔵)

 こちらは1997年、83歳の時に描いた《巴里の若き岡倉天心》です。
 岡倉天心は、明治時代の美術指導者で思想家です。1889年にフェノロサと共に東京美術学校(後の東京芸術大学)を設立し同23年に校長となりますが、1898年に辞任し日本美術院(院展)を設立しました。日本の伝統美術の振興と革新に指導的役割を果たし、東洋・日本美術を海外に紹介したのです。
 この作品は、1887年にフェノロサと共にパリへ渡った天心が、最古のステンドグラスがあるサント・シャペル寺院にたたずむ姿を描いています。金箔を用いたステンドグラスの光が穏やかに広がり、黒主体の寺院の静けさが効果的に表現され、西洋の文化に接し日本美術の将来を想う天心の胸中と重なります。

《牡丹燈記》(1971年、大垣市蔵)

 こちらの作品は1971年に描かれた《牡丹燈記》です。中国明代の瞿佑[くゆう]が著した怪奇小説『剪燈新話(せんとうしんわ)』(1378)のうち「牡丹燈記」を題材としています。日本では、江戸時代の浅井了意が翻案した「牡丹燈籠」や、三遊亭円朝が人情噺に翻案した「怪談牡丹燈篭」として知られています。
 中央に描かれた美女・麗卿は既にこの世の人ではなく、麗卿は侍女の金蓮を従え、牡丹燈籠を掲げて、喬生という青年のもとへと向かいます。背景の蓮は、侍女の名前から連想して描かれたものと考えられます。
藍と緑青を混ぜた色合いが大変美しく、背景にたくさんの蓮が描かれていますが、統一された色調によって落ち着いた作品になっています。麗卿と金蓮は透けるように描かれ、まるで本当の幽霊のように見えます。
 守屋の技術の高さがうかがえる一枚です。

大下図をご紹介します

《大下図 アメリカ留学(津田梅子)》(1990年、大垣市蔵)
 こちらは1990年に作成された《アメリカ留学(津田梅子)》の大下図です。
 1871年、岩倉具視らの使節団が米国に派遣されました。その時留学生の少女5人が同行したのですが最年少者は後に津田塾を開き、女子高等教育、英語教育に尽力した当時7歳の津田梅子でした。
 この作品は四曲屏風で、船上から果てしなく広い太平洋を眺める少女たちの姿を描いています。円形のデッキの鉄柵に寄りそって少女たちは後ろ向きに描かれ、お揃いの朱色に金糸の花模様の着物を着て、黒地に金箔押しの帯を締め、華やかで愛らしく描かれています。左から二番目の草履を脱ぎ手すりに乗る小さな少女が梅子なのでしょうか。左半分の広い空間は太平洋の大きさを表現しています。
 今回はこの作品の他にも、国立国際美術館に所蔵されている、1979年に作成された《キオストロの少年使節》や《ジェロニモ天草四郎》の大下図を展示しています。

大垣市守屋多々志美術館ホームページトップへ

  第84回企画展「世界巡行」作品紹介はいかがでしたか。
 今回ご紹介した作品以外にも、今回の企画展では海外を取材した際に描いたスケッチなど様々な作品をご紹介しています。
 皆さまのご来館をお待ちしております。

 このほかの守屋多々志美術館の詳しい情報は大垣市守屋多々志美術館ホームページトップ(別ウインドウで開く)をご覧ください。

お問い合わせ

大垣市教育委員会事務局守屋多々志美術館

電話でのお問い合わせはこちら

お問い合わせフォーム

Copyright (C) Ogaki City All Rights Reserved.