沿革1 (大正7年から昭和38年)
- [2019年11月29日]
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クリーンセンター沿革(大正7年から昭和38年)
年代 | ごみ処理のうつりかわり | 主な出来事 |
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大正7 | ごみの収集を始める。(ごく一部の住宅密集地域のみ) | 大垣市制施行 戸数 5,463戸 人口32,225人 |
昭和22 | 南頬町において野天焼却 | 戸数13,112戸 人口63,830人 |
昭和25 | 一世帯一個のごみ箱の設置を指導する。 ごみ収集用トラック購入 (月3回振鈴で、収集を知らせていた) | |
昭和27 | 世安町3丁目に、ごみ焼却場完成 (あべ式焼却炉6基、1日処理能力18トン) | |
昭和28 | 年 4,965トン、16名で収集、6名で焼却 車輛 トラック 1台 オート三輪 1台 リヤカー 8台 | |
昭和30 | 世帯数18,592世帯 人口94,128人 | |
昭和34 | 伊勢湾台風 | |
昭和35 | テイラー運搬車でごみ収集 | |
昭和37 | 収集車に新型パックマスター登場 1日35トンのゴミ収集する。 車輛 トラック 3台 オート三輪 3台 テイラー運搬車 1台 リヤカー 3台 米野町に焼却場完成 (熱建式自然通風炉4基 1日処理量40トン) 一部区域にごみの定時収集制を始める。 (現在のステーション方式の原形で、ごみ収集作業の能率をはかる。) | |
昭和38 | ポリ容器にごみ箱が使用され始める | |