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ありがとう 4代目市庁舎 (令和2年1月15日号)

  • [2020年1月15日]
  • ページ番号 48351

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旧庁舎

旧庁舎落成祝賀行事のパレード

◆旧庁舎の概要(完成当時)
・開所日 : 昭和39年2月24日
・構造 : 鉄筋コンクリート4階造
・工事総額 : 4億2,793万5,000円
・延べ床面積 : 9,111.7平方メートル


 昭和39年2月に完成した4代目市庁舎(以下「旧庁舎」)は、新庁舎のオープンに伴い、昨年12月に56年間の歴史に幕を閉じました。
 そこで今回は、長きにわたり活躍した旧庁舎に感謝し、旧庁舎の完成当時や歴代の市庁舎を振り返ります。


≪完成当時の旧庁舎≫
 
◆市制45周年に誕生

 3代目市庁舎の老朽化と、行政事務増大にともない庁舎が手狭になったことをうけ、昭和39年2月に旧庁舎が誕生。落成式は市制45周年記念式とあわせて同年4月に行われました。
3代目市庁舎の後ろで建設中の旧庁舎写真

3代目市庁舎の後ろで建設中の旧庁舎



◆市民サービス充実に向けて
 福祉行政の拡充と市民の利便性向上のため、1階に窓口事務を集中。さらに、市民に関係が深い窓口事務をまとめた「市民課」が新設されました。同課では、戸籍事務や住民票の発行などのほか、お米の配給事務も行っていました。
新設された市民課

新設された市民課の様子



◆同年に東京五輪も開催
 今年は、新庁舎オープンと東京オリンピック開催というニュースが重なります。旧庁舎が完成した昭和39年も東京五輪の年で、偶然にも2代連続となりました。そのほか、名神高速道路大垣インター開通など、交通インフラも大きく向上した年でした。
同年に東京五輪も開催

郭町交差点を通る東京五輪の聖火



◆さまざまな来賓が来庁
 56年間の歴史の中で、数多くの来賓が来庁。写真(下)は、昭和40年の岐阜国体の際に皇太子殿下(現上皇陛下)が訪れたときの様子です。この1階ロビー・モザイク壁画の前では、これまでたくさんの来賓者と記念撮影が行われました。
正面階段を下りられる皇太子殿下(当時)写真

正面階段を下りられる皇太子殿下(当時)



≪大垣市庁舎の移り変わり≫


【初代】(大正7年~昭和12年)写真

【初代】(大正7年~昭和12年)

 大垣城の松の丸と呼ばれていた場所に、裁判所と隣り合わせに建っていた町役場をそのまま継承。安八郡内一の広い会議室を有する庁舎でした。


【2代目】(昭和12年~昭和20年)写真

【2代目】(昭和12年~昭和20年)

 苦しい財政事情の中で建てられた庁舎で、現在の敷地(丸の内)に移転。昭和20年7月29日の大垣空襲により市の大半とともに焼失しました。



【3代目】(昭和22年~昭和39年)写真

【3代目】(昭和22年~昭和39年)

 2代目の焼失後、仮庁舎を経て昭和22年に建設。京都の元私立農学校校舎の古材の寄贈を受けられたことで、大きな負担を避けることができました。


【4代目】(昭和39年~令和元年)写真

【4代目】(昭和39年~令和元年)

【5代目】(令和2年~)写真

【5代目】(令和2年~)

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