郷土の偉人(22) “地質学を大衆化させた理学博士” 脇水 鉄五郎 (令和4年1月15日号)
- [2022年1月15日]
- ページ番号 56235
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(1867~1942年)
赤坂金生山の地層調査や大垣の地下水に関する提言など、地質学の研究と普及に尽力したのが西外側町出身の脇水鉄五郎です。欧州留学を経て、東京帝国大学農科大学(現・東京大学農学部)の教授となり、地質学の第一人者として活躍しました。退官後、名勝・天然記念物の調査のため、全国各地を奔走しました。
赤坂金生山の地層調査や大垣の地下水に関する提言など、地質学の研究と普及に尽力したのが西外側町出身の脇水鉄五郎です。欧州留学を経て、東京帝国大学農科大学(現・東京大学農学部)の教授となり、地質学の第一人者として活躍しました。退官後、名勝・天然記念物の調査のため、全国各地を奔走しました。
![脇水鉄五郎肖像](./cmsfiles/contents/0000056/56235/p21.jpg)
脇水鉄五郎肖像(個人蔵)
![QR](./cmsfiles/contents/0000056/56235/p22.jpg)
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