市民投稿 未来に残したい昔の大垣(9) 明治後期の西外側町 (平成30年12月15日号)
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写真の奥には、八幡神社の鳥居が見え、左へ続く道は円通寺へ向かいます。当時の西外側町は、城下町の面影が残り、道路も未舗装で人力車や馬車などが行き来していました。現在は、水門川沿いが「四季の路」として整備され、市民の散歩道として親しまれています。
【投稿】竹田善隆さん明治43年頃撮影
<コメント> 大垣駅から実家のある西外側町へ母と人力車で行きました。
<コメント> 大垣駅から実家のある西外側町へ母と人力車で行きました。