大垣市功労者 - 名誉市民 -
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名誉市民とは、「大垣市功労者表彰条例」及び「大垣市功労者表彰に関する規則」に基づき、市や市政に特別の功労があった方や実業、文化、学術、福祉などに功績をあげられた方に授与されるものです。現在までに、次の10人の方にお贈りしています。
No | 受章者氏名 | 受章年月日 | ||
1 | (故)東島 卯八 氏 | 昭和31. 4. 1 | ||
2 | (故)土屋 義雄 氏 | 昭和39. 4.17 | ||
3 | (故)山本 庄一 氏 | 昭和45. 5.10 | ||
4 | (故)須崎 潔 氏 | 昭和48.10.17 | ||
5 | (故)森 直之 氏 | 昭和56. 3.26 | ||
6 | (故)田口 利八 氏 | 昭和57. 8. 6 | ||
7 | (故)小川 宗一 氏 | 昭和63. 4. 1 | ||
8 | (故)土屋 斉 氏 | 昭和63. 4. 1 | ||
9 | (故)小倉 満 氏 | 平成13. 4. 6 | ||
10 | (故)田口 義嘉壽 氏 | 平成26. 4. 1 |

故 東島 卯八 氏 (受章 昭和31年4月1日)
大正13年から昭和20年まで連続6期にわたり市長をつとめ、社会経済の激動期において、隣接町村の合併、大工場の誘致などを進め、市政の伸展に尽力されました。

故 土屋 義雄 氏 (受章 昭和39年4月17日)
昭和25年から43年まで大垣商工会議所会頭として、戦後の経済不況期に産業の振興に大きく貢献されました。また、青少年教育の充実と地域文化の向上に尽力されました。

故 山本 庄一 氏 (受章 昭和45年5月10日)
昭和32年から45年まで連続4期にわたり市長をつとめ、名神大垣インターの実現をはじめ、都市基盤の整備に大きく貢献され、市政の伸展に尽力されました。

故 須崎 潔 氏 (受章 昭和48年10月17日)
昭和26年から48年まで大垣市体育連盟会長として、地域スポーツの向上、青少年の健全育成に尽力されるとともに、本市はもとより、わが国産業の振興に貢献されました。

故 森 直之 氏 (受章 昭和56年3月26日)
昭和43年、市民病院長に就任以来、広域診療圏の中核病院としての名声を高め、50年から56年までは市長として計画行政を進め、市政の伸展に尽力されました。

故 田口 利八 氏 (受章 昭和57年8月6日)
昭和46年から57年まで大垣商工会議所会頭として、本市はもとより、わが国産業の振興に大きく貢献されました。また、地域スポーツ、地域文化の向上に尽力されました。

故 小川 宗一 氏 (受章 昭和63年4月1日)
昭和43年から45年まで大垣商工会議所会頭として、地域産業の振興に貢献されました。また、日本軟式庭球連盟名誉副会長、大垣市軟式庭球連盟会長として軟式庭球の発展に尽力されました。

故 土屋 斉 氏 (受章 昭和63年4月1日)
昭和57年から60年まで大垣商工会議所会頭として、本市はもとより、県経済の発展に貢献されました。また、ぎふ中部未来博協会長として、県活性化などにリーダーシップを発揮されました。

故 小倉 満 氏 (受章 平成13年4月6日)
昭和60年から平成13年まで連続4期にわたり市長をつとめ、生涯学習の充実をはじめ、地域情報化、広域行政、国際交流などの施策を積極的に進め、市政の伸展に尽力されました。

故 田口 義嘉壽 氏 (受章 平成26年4月1日)
平成11年から14年まで大垣商工会議所会頭として、本市はもとより、日本の経済・産業・福祉・スポーツなどさまざまな分野にわたって貢献されました。