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大垣市の名称の由来

  • [2019年1月8日]
  • ページ番号 43663
1630年頃の大垣城下を描いた古地図(大垣市立図書館蔵)

 「おおがき」の名称が初めて確認できるのは鎌倉時代です。
 1329年(嘉暦(かりゃく)4年)3月、東大寺文書の下司(げす)代(だい)僧(そう)尭(ぎょう)円(えん)注進状に「大柿又三郎」という人物が登場します。
 「大柿」はその後の史料にも散見されることから、この時代の大垣には「大柿」の地名があり、地名を苗字にした「大柿氏」が領主を務めたと推定されます。
 その後、1409年(応永16年)の石(いわ)包(かね)名(みょう)等(とう)名寄(なよせ)散田帳(さんでんちょう)(宮内庁蔵)などに「大垣」という表記が見られ、1446年(文安3年)の室町幕府奉行人連署奉書案(大橋文書)には、現在の大垣を治める代官として「大垣中務丞(おおがきなかつかさのじょう)氏(うじ)信(のぶ)」が登場します。

 なお、江戸時代に至るまで「大柿」と「大垣」の名称は併用されていたと考えられ、太閤記などでは「大柿城」との表記が確認できます。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦において、西軍・石田三成の拠点となった大垣城に向かう徳川家康に、禅僧が大きな柿を献上すると、「大柿(大垣)が既に手に入った」と喜んだという逸話が残っています。
※出典:大垣城の歴史(大垣市文化財保護協会発行)

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