「大垣城」を景観重要建造物第1号に指定しました
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大垣市では、令和5年1月、「大垣城」を景観重要建造物に指定しました。
景観重要建造物とは、景観法にもとづき、自然や歴史、文化などの観点から、外観が特徴的で景観形成に重要なものを指定する制度で、本市では第1号の指定となります。
「大垣城」は、後世に残したい『ふるさと大垣』の景観にふさわしい建造物や風景などを対象とした市独自の制度「大垣市景観遺産」に、当初から指定されていました。この制度の開始から10年以上が経過し、指定件数が100件に達したことから、本市のシンボルである「大垣城」を景観重要建造物に指定したものです。
今後は、「大垣城」をまちの景観づくりの中心として、大切に活かしていきます。

概要
| 名称 | 大垣城 |
|---|---|
| 指定番号 | 第1号 |
| 所在地 | 大垣市郭町2丁目52 |
| 敷地面積 | 2,220平方メートル |
| 建築面積 | 453平方メートル |
| 指定の理由となった 外観の特徴 | 大垣城天守は、4層4階で総塗りごめ様式のたいへん優美な城として名高く、昭和11年(1936年)に国宝に指定されました。 その後、昭和20年(1945年)の空襲により天守等は焼失しましたが、昭和34年(1959年)に外観を復元した天守が再建され、今でも城下町大垣のシンボルとなっています。 |
大垣城について
城下町大垣のシンボルである大垣城。創建は、天文4年(1535年)に宮川安定によるものと伝えられます。関ケ原の戦いで、西軍・石田三成の本拠地となったことは有名で、その後、戸田氏が城主となり、その治世は明治維新まで続きました。天守等は、昭和20年(1945年)の空襲により惜しくも焼失しましたが、昭和34年(1959年)に外観を復元した天守が再建され、現在も市民に親しまれています。城内には天守のほか、櫓や門、塀が整備され、また天守内では関ケ原の戦いに関する展示や、展望室からの眺望を楽しむことができます。
