作曲家 江口夜詩
- [2023年9月19日]
- ページ番号 32154
略伝

作曲家 江口 夜詩(えぐち よし)
江口 夜詩〔(えぐち よし:本名・源吾(げんご)〕は明治36年、大垣市上石津町(旧・時村)に生まれました。16歳の時、志をたて海軍軍楽隊に応募し、第一期軍楽補習生として横須賀海兵団に入団。大正10年には当時皇太子であった昭和天皇のヨーロッパ親善旅行随行軍楽隊員のひとりとして抜擢されました。そして、6ヶ月間にわたりイギリス・フランス・イタリア等ヨーロッパ各国を歴訪し、本場のシンフォニーやオペラに接しました。また、海軍軍楽隊専属の作曲家としての将来を嘱望され、海軍省委託生として、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に6年間通学してチェロ等の音楽を勉強しました。大正14年、処女作「千代田城を仰ぎて」を完成させました。この曲は、開局直後のラジオ放送で発表されました。また、昭和3年には昭和天皇即位大典演奏会で吹奏楽大序曲「挙国の歓喜」を発表しました。
昭和6年に海軍を退役し、翌7年、亡妻をしのんで作曲した「忘られぬ花」が大ヒットしました。それまでクラシックの作曲家を目指していた夜詩は、これを期に流行歌の作曲に一生をかけることを決心します。その後「十九の春」「秋の銀座」「急げ幌馬車」「夕日は落ちて」「心のふるさと」「月月火水木金金」「長崎のザボン売り」「憧れのハワイ航路」「東京の空青い空」「赤いランプの終列車」「瓢箪ブギ」など数々のヒット曲を作曲。また、歌謡学校を設立するなど、何人もの新人歌手や新人作詩家を発掘し世に紹介。「大衆音楽の父」と呼ばれました。校歌や社歌、町民歌、地域の音頭なども数多く作曲。生涯にわたる作曲数は4,000曲を超えます。
昭和38年、惜しくも病に倒れ、リハビリテーションに専念しましたが、復帰することができず、昭和53年12月8日、75歳で亡くなりました。
また、息子の浩司さんも作曲家として数々の功績を残されています。
西暦 | 和暦 | 年齢 | 主な事柄 |
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1903 | 明治36年 | 0 | 養老郡時村(現・上石津町時)で生まれる。 |
1918 | 大正7年 | 15 | 時尋常高等小学校を卒業する |
1919 | 大正8年 | 16 | 横須賀海兵団に入団する |
1920 | 大正9年 | 17 | 第一期軍楽補習生を首席で卒業する |
1921 | 大正10年 | 18 | 皇太子のヨーロッパ親善旅行随行軍楽隊員として選抜される。帰国後、海軍省委託生として東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学する |
1925 | 大正14年 | 22 | デビュー作「千代田城を仰ぎて」を発表する |
1928 | 昭和3年 | 25 | 吹奏楽大序曲「挙国の歓喜」を発表する |
1929 | 昭和4年 | 26 | 「夜の愁」でレコードデビューする |
1931 | 昭和6年 | 28 | 海軍を退役する |
1932 | 昭和7年 | 29 | 「忘られぬ花」、「時雨ひととき」を発表する |
1933 | 昭和8年 | 30 | 「十九の春」、「秋の銀座」を発表する |
1934 | 昭和9年 | 31 | 「急げ幌馬車」を発表する |
1936 | 昭和11年 | 33 | 詩人西條八十と欧州に旅行する。「心のふるさと」を発表する |
1940 | 昭和15年 | 37 | 「月月火水木金金」を発表する |
1948 | 昭和23年 | 45 | 「緑の牧場」、「長崎のザボン売り」、「憧れのハワイ航路」を発表する |
1949 | 昭和24年 | 46 | 「東京の青い空」を発表する |
1950 | 昭和25年 | 47 | NHKラジオ「今週の明星」で「憧れのハワイ航路」と古賀政男の「湯の町エレジー」が毎週1位争いをする。「憧れのハワイ航路」を新東宝が映画化する |
1952 | 昭和27年 | 49 | 「赤いランプの終列車」を発表する |
1954 | 昭和29年 | 51 | 「瓢箪ブギ」を発表する |
1955 | 昭和30年 | 52 | 「裏町ピエロ」を発表する。「江口夜詩作曲生活30周年郷土訪問大演奏会」を開催する |
1956 | 昭和31年 | 53 | 日本歌謡学校を設立する。「浮草の宿」、「トチチリ流し」を発表する |
1963 | 昭和38年 | 60 | 病に倒れる(以後15年の闘病生活) |
1970 | 昭和45年 | 67 | 「上石津町青少年歌」「上石津町音頭」を口述で作詞作曲する。上石津町自治功労者となる |
1972 | 昭和47年 | 69 | 上石津町立時小学校校歌「仰ぐ烏帽子の」を作曲する |
1974 | 昭和49年 | 71 | 上石津町名誉町民となる |
1978 | 昭和53年 | 75 | 永眠 |
夜詩と故郷、大垣市上石津町

※昭和45年、「上石津町青少年歌」「上石津町音頭」を発表。指揮は長男の浩司氏。
こよなく愛した故郷



江口夜詩はとても郷土愛の深い人物であり、故郷へ帰るたびに母校である「時小学校」を訪れ、生徒たちに音楽を教えていた。また、それは作曲家としての活動にも表れており、岐阜県内にある数多くの小中学校の校歌も作曲している。
他にも、岐阜と大垣で開催された「江口夜詩作曲生活30周年郷土訪問大演奏会」でパレードを行った後も、養老の滝に訪れている。
江口夜詩顕彰碑



江口夜詩が亡くなった翌年、昭和54年、顕彰碑設立発起人会によって上石津町時地区下山の時小学校(中学校)跡地に顕彰碑が建てられた。 碑の表面には碑文の上部に憧れのハワイ航路の一節が、碑の裏面には、作曲した曲の略年表と、夜詩がふるさとを想った言葉(『故郷というものは何年たっても懐かしい、そして温かいものが待って居てくれる所である。』)が刻まれている。
また、上石津町(現:大垣市)は、夜詩の偉大な功績を讃え、昭和45年に上石津町自治功労者に、昭和49年10月に上石津町名誉町民に推戴した。
CD作品集
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2,610円
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2,610円
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No. | タイトル | 歌ほか |
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1 | 千代田城を仰ぎて | 内藤清五指揮/帝国海軍軍楽隊 |
2 | 忘られぬ花(作詩・西岡水朗) | 池上利夫 |
3 | 時雨ひととき(作詩・飛鳥井帆二) | 渡瀬春枝 |
4 | 十九の春(作詩・西條八十) | ミス・コロムビア |
5 | 護れ大空(作詩・町田敬二) | 陸軍戸山学校軍楽隊 |
6 | 秋の銀座(作詩・久保田宵二) | ミス・コロムビア |
7 | 希望の首途(作詩・久保田宵二) | 松平晃 |
8 | 急げ幌馬車(作詩・島田芳文) | 松平晃 |
9 | 夕日は落ちて(作詩・久保田宵二) | 松平晃、豆千代 |
10 | 花嫁行進曲(作詩・高橋掬太郎) | 音丸 |
11 | あの夢この夢(作詩・西條八十) | 二葉あき子 |
12 | ふんなのないわ(作詩・江口夜詩) | ミス・コロムビア |
13 | 乙女の青空(作詩・高橋掬太郎) | 高峰三枝子 |
14 | くろがねの力(作詩・浅井新一) | 伊藤久男、霧島昇、他 |
15 | 轟沈(作詩・米山忠雄) | 楠木繁夫、日蓄合唱団 |
No. | タイトル | 歌ほか |
1 | 心のふるさと(作詞・大木惇夫) | 大阪放送合唱団 |
2 | 月月火水木金金(作詞・高橋俊策) | 内田栄一 |
3 | 緑の牧場(作詞・松坂直美) | 津村謙 |
4 | 長崎のザボン売り(作詞・石本美由起) | 小畑実 |
5 | 憧れのハワイ航路(作詞・石本美由起) | 岡晴夫 |
6 | 東京の空青い空(作詞・石本美由起) | 岡晴夫 |
7 | (天草の)バテレン祭り(作詞・大倉芳郎) | 津村謙 |
8 | 赤いマフラー(作詞・高橋掬太郎) | 津村謙 |
9 | 赤いランプの終列車(作詞・大倉芳郎) | 春日八郎 |
10 | 湯の町月夜(作詞・高橋掬太郎) | 近江俊郎 |
11 | 博多流し(作詞・高橋掬太郎) | 春日八郎 |
12 | 瓢箪ブギ(作詞・高橋掬太郎) | 春日八郎 |
13 | 裏町のピエロ(作詞・横井弘) | 若原一郎 |
14 | 浮草の宿(作詞・服部鋭夫) | 春日八郎 |
15 | トチチリ流し(作詞・藤間哲郎) | 春日八郎 |