旗本西高木家陣屋跡
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高木家は関ヶ原の合戦の功により、慶長6(1601)年に時・多良を拝領しました。高木家の石高は西高木家2300石・東高木家1000石・北高木家1000石でしたが、交代寄合として大名の格式を許され、幕末までこの地を治めていました。また、「水奉行(みずぶぎょう)」として木曽三川の治水にもあたり、宝暦治水にも深く関わりました。
旗本西高木家陣屋跡には、建造物として嘉永5(1852)年の棟札をもつ長屋門や、天保3(1832)年の火災後に再建された建物の一部を残す主屋があります。また埋門(うずみもん)をはじめとした城郭を思わせる石垣群や、西高木家歴代の墓所も残されており、平成8年に岐阜県史跡に指定されています(指定地面積17,384.23平方メートル)。この他、名古屋大学所蔵品を中心とした高木家文書は治水関連資料がよく知られていますが、その総数は10万点以上と推定され、現在もその整理が続けられています。
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平成23年度の調査概要(見開き)
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平成23年度の調査概要(中差し込み)
ところ | 大垣市上石津町宮 |
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交通 | JR大垣駅南口4番のりばから発車の名阪近鉄バス |