国指定重要文化財 旧揖斐川橋梁(きゅういびがわきょうりょう)の概要
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橋梁の概要
名称 : 揖斐川橋(旧揖斐川橋梁,地元では沢渡(さわたり)橋梁とも)
上部工形式: 鉄製下路式ダブルワーレントラス桁橋
通称200 フィートトラス桁
上部工材質: 錬鉄
上部工寸法: 橋長325.1m (桁長63.65m=208ft.10in.×5 連)
道路有効幅員3.4m (主構中心間隔4.93m=16ft.2in.)
下部工形式: 2柱式煉瓦積井筒(橋台、橋脚とも井筒上部を連結)
下部工寸法: 井筒基礎外径3.66m=12ft.
基礎根入れ河床下約21.3m=70ft.
架橋位置 : 岐阜県大垣市新開町~岐阜県安八郡安八町西結
利用形態 : 自転車・歩行車道
製作・建設年: 明治17(1884)年5 月大垣駅~加納(現岐阜)駅間着工[iii]
明治18(1885)年大垣側上部工 第3連 製作
明治19(1886)年安八側上部工 第2連 製作
明治19(1886)年12 月竣工
東海道線開通: 明治20年1月21日(1887)大垣駅~加納駅(現岐阜駅)間開業
2008年(平成20年)国指定重要文化財になりました。
旧揖斐川橋梁は、東京・京都間の幹線鉄道建設工事の一環として、1886年(明治19年)12月に竣工しました。工事は、内閣鉄道局四等技師長谷川謹介及び六等技手吉田経太郎を中心として進められ、上部構造は、イギリス人技術者、C・ポーナルの設計に基づきイギリスのパテント・シャフト&アクスルトゥリー社で製作されました。
橋長325.1m、トラス桁の長さは63.6mのいわゆる200フィートで、100フィートが一般的であった当時、旧揖斐川橋は最大級のものでした。英国下路式の錬鉄製五連ダブルワーレントラス桁橋で、わが国で最初に完成した幹線鉄道である東海道線において、最も高度な技術を駆使して建設され、かつ唯一原位置に残る遺構として貴重な文化財です。
わが国の近代最初期に導入されたイギリス鉄道技術の特色を顕著に表すばかりでなく、明治期に全国で建設された大規模鉄道橋梁の一つの規範を示すものとして、鉄道技術史上、高い価値があることから、2008年(平成20年)12月2日、重要文化財の指定を受けました。
文化財的価値
項 目 | 要 点 |
架設年代の早さ | 明治19(1886)年わが国初の幹線鉄道(東海道線)において木曽三川で最初に完成。 |
技術の高さ | 英国人技師ポーナルに依頼して設計。明治期に建設された大規模鉄道橋梁の規範を示す。国内の近代化の過程として錬鉄、ピントラス、煉瓦の積み方の技術を知る上で貴重。 |
原位置で供用 | 上下部工とも約130年、建設時の位置で活用。唯一無二 |
英国式トラス橋 | 剛な下弦材を持つピントラス橋。横桁が格点に接合されていない。 |
規模の大きさ | 明治中期の鉄道での鉄製トラス橋で最大(200フィート)。 |
煉瓦積橋台等 | 煉瓦積みの井筒2本の上端部を煉瓦積みアーチで連結。 |
平面支承 | トラス橋ではピン支承が一般的、活荷重たわみが小さい橋のみで使用。 |
英国で製作 | Patent Shaft & Axletree社で製作され、輸入。 |
錬鉄製 | 鋼鉄が登場する前の構造用鉄材で鋼より粘りがない。 |
ダブルワーレントラス形式 | トラス橋の形式は、意匠的にダブルワーレントラスからプラットトラス、ワーレントラスへ変遷。 |
リベット接合 | 赤熱した鉄の鋲を叩いてかしめたもの。 |
主な技術的な価値
英国式トラス橋
英国製のトラスは、部材を錬鉄から鋼鉄にした改良型が登場するなど一世を風靡したが、明治30 年台にはアメリカ製のトラスが主流となって姿を消した。
本橋は代表的な英国式のトラス橋であり、次のような特徴を有している。
(1) 上下弦材と端柱とが一体のフレームをなし、腹材はアイバーで弦材にピンで結合されている。
(2) 横桁は各格間に2 本ずつ等間隔に下弦材の上に載っている。
(3) 縦桁は横桁腹部に連結されている。
(4) 橋門構はプレートでいかめしい印象を与える。
(5) 上横構を有するが、載荷弦側の下横構はない。
本橋の上流に架かる樽見鉄道の揖斐川橋梁は、明治33(1900)年のアメリカ製を移設・転用している。下弦材同士もピン結合構造で下弦材は特に細く、横桁は格点に配置されている。
また、下流側の現JR揖斐川橋梁(複線)は、ドイツ式トラス橋であり、格点はガセット板で剛結構造である。米国式と同様に横桁は格点に配置されている。
揖斐川橋(英国式トラス) 樽見鉄道の揖斐川橋(米国式トラス) 現JR揖斐川橋(独式トラス)
錬鉄製
橋梁に用いられる鉄(Ferrite)の材料は、鋳鉄(Cast iron)から錬鉄(Wrought iron)、そして鋼鉄(Steel、はがね)へと変遷したが、日本では橋梁として鋳鉄は普及せず、本格的に使用されたのは錬鉄からである。19 世紀の後半にその活用のピークを迎え、20 世紀になると、より強度や粘りがあり、溶接によって割れが生じにくい鋼材が用いられるようになり、錬鉄は用いられなくなった。
煉瓦積み井筒橋台及び橋脚
旧揖斐川橋梁の下部工(橋台と橋脚)は、地中約70 フィート=21.3m まで根入れした、煉瓦積み井筒基礎(外径12 フィート=3.66m、厚み1 フィート11 インチ=0.58m の円柱形に煉瓦を積み上げた柱)2 本を、上端で連結して造られている。連結部下端は独特な積み方のアーチ構造になっており、美しい構造物である。
下部工は、使い始めて4 年を経過した明治24(1891)年10 月28 日の濃尾地震によって、連結部のすぐ下付近で大きなひび割れができたため、橋台2 基と橋脚2 基の井筒部分を除く全ての煉瓦を積み直すとともに、井筒間に渡した鋳鉄板または曲率の緩やかなアーチを追加して元のアーチとの間に煉瓦積みを行った。
濃尾地震直後の橋脚の様子
P4橋脚連結部下端形状
揖斐川橋の年表
年月日 | できごと |
明治17(1884)年5 月 | 着工 |
明治19(1886)年12 月 | 竣工 |
明治20(1887)年1 月21 日 | 供用開始(東海道線大垣駅~加納駅(現岐阜駅)間開通) |
明治24(1891)年10 月28 日 | 濃尾地震で橋脚が被災 |
明治25(1892)年4 月26 日 | 濃尾地震災害復旧工事完了(両橋台、第1、第3 橋脚は全面的改築、第2、第4 橋脚は損傷部のみ積み替え) |
大正2(1913)年 | 複線仕様の新橋が建設されたのに伴い廃止 木製床版を設置し、道路橋として供用開始 |
昭和35(1960)年 | 県道大垣穂積線として区域決定 |
昭和44(1969)年 | 鉄筋コンクリート床版に改造 |
昭和49(1974)年 | P2 橋脚コンクリート巻(剥離及び亀裂) |
昭和60(1985)年 | P3 橋脚コンクリート巻(剥離及び亀裂) |
昭和62(1987)年 | P4 橋脚コンクリート巻(剥離及び亀裂) |
昭和63(1988)年 | 塗装(塗り替え) |
昭和63(1988)年 | 岐阜県から大垣市へ権利譲渡(県道廃止) |
平成9(1997)年1 月7 日 | 産廃トラックに積まれた鉄骨廃材の衝突事故により損傷 (同年11 月26 日補修工事完了) |
平成12(2000)年2 月 | 自転車・歩行者道として供用開始 |
平成20(2008)年12 月2 日 | 重要文化財に指定 |
平成28(2016)年 | 第5連 塗装塗替え |
平成29(2017)年 | 第4連 塗装塗替え |
その他関連施設
牧田川橋梁
明治21(1888)年英国パテント・シャフト社製で、大正2(1913)年に旧養老鉄道が国鉄から払い下げを受けたものである。製造年から当初は東海道線で用いられていたと考えられる。移設時に170 フィートに短縮改造された。
河川改修にともない、平成9(1997)年に撤去された。撤去された桁の一部が烏江駅に保存展示されている。
ねじりまんぽ
ねじりまんぽ:鉄道線路とその下を通過する道路が斜めに交差する場所のアーチ橋において、アーチ上部にかかる力を
(斜拱渠) アーチ全体に伝達させるために、アーチ部をレンガ等を使ってらせん状にねじって積まれたものです。
【甲大門西橋りょう】
形 式:煉瓦斜拱渠
供用開始:1887(明治20)年