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国指定史跡 西高木家陣屋跡(にしたかぎけじんやあと)

  • [2017年8月23日]
  • ページ番号 37025

西高木家陣屋跡

空から見た西高木家陣屋跡

空から見た西高木家陣屋跡

所在地:大垣市上石津町宮

指定年月日:平成26年10月6日

指定面積:17,489.42平方メートル

概 要:西高木家陣屋跡は旗本西高木家の陣屋跡で、揖川(いびがわ)の支流牧田(まきた)川が形成した、標高約130m前後の河岸段丘上に位置します。

高木家は江戸時代を通じて同地を支配し、西家(2,300石)と、北家(1,000石)・東家(1,000石)の三家からなり、「交代寄合美濃衆(こうたいよりあいみのしゅう)」として大名と同等の格式を許されていました。同家の担った重要な役割に川通(かわどおり)御用の役儀があり、木曽三川(きそさんせん)の治水行政にあたりました。

西高木家の陣屋は伊勢街道に東面し、その街道側の段丘崖(だんきゅうがい)を中心に石垣が構築され、埋門(うずみもん)も整備されました。北側に上屋敷(かみやしき)、南に下屋敷(しもやしき)が構えられ、上屋敷西側に墓所を営みました。屋敷絵図と古文書の調査から、天保3年(1832)に陣屋の大部分の建物が焼失し、その後、建物の主軸を大きく変えて、陣屋が再建されたことが判明し、発掘調査によっても地下遺構が良好に遺存していることが確認されています。近代以降、西高木家の敷地は上屋敷を中心に徐々に縮小し、明治年間建造の主屋と嘉永5年(1852)建造の下屋敷御門を移築した長屋門が残っています。

さらに高木三家に伝来した古文書群は10数万点にも及びます。西高木家陣屋跡は交代寄合美濃衆としての役儀を担った旗本高木家の陣屋跡として石垣等の遺構が良好に残り、かつ膨大な高木家文書の伝来によって近世における旗本領主の実態を明らかとする遺跡としてきわめて重要です。

陣屋跡に位置する上石津郷土資料館では、上石津地域の自然と歴史・文化を紹介しており、高木三家の陣屋模型をはじめ、古文書なども展示しています。

陣屋東の石垣群

陣屋東の石垣群

長屋門

長屋門

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