国指定史跡 美濃国分寺跡(みのこくぶんじあと)
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美濃国分寺跡
空から見た美濃国分寺跡
指定年月日:大正10年3月3日
(追加指定)昭和46年7月22日、昭和49年5月22日、令和元年10月16日
指定面積:65,312.70平方メートル
概 要:美濃国分寺跡は、大谷川(おおたにがわ)や相川(あいかわ)によって形成された、標高21~24mの段丘化した扇状地上に位置します。
奈良時代、全国に建立された国分寺の一つで、伽藍(がらん)は大官大寺(たいかんたいじ)式を採用しています。在地の豪族(ごうぞく)が建立した白鳳(はくほう)期の寺院を利用しながら国分寺を創建したと考えられます。伽藍のほぼ全域が整備されており、伽藍周辺にも付属する施設が存在していることが、発掘調査で確認されています。大正時代に周辺一帯の耕地整理が行われた際に、金堂(こんどう)の基壇が確認されました。その時に金堂の基壇と七重塔の基壇付近が国有化され、国史跡に指定されました。
昭和43年度から本格的な発掘調査が始まり、昭和56年度に現在の史跡公園が整備されました。七重塔はその基壇の大きさから、高さは60mほどあったと推定されています。伽藍北東にある丘陵には国分寺の瓦を焼いた瓦窯の跡が確認されていて、伽藍部分と合わせて国史跡となっています。
平成14年度には南門前の伽藍外に、参道(さんどう)跡と儀式の時に旗(幡(ばん))を掲げた支柱(幢竿支柱(どうかんしちゅう))がみつかっています。また、その用途は不明ですが、庇(ひさし)の付く掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)跡も確認されています。
出土品は隣接する大垣市歴史民俗資料館にて展示されています。
参道跡と幢竿支柱
幢竿支柱